夏になると怪談話が盛んになって、それはもう笑っちゃうほど昔から同じで「ぞくぞくっと寒気を感じで、涼しくなりましょう」という趣旨らしいけれど(涼しくなんてならないでしょう)・・・・でもね、当たり前だけど、幽霊なんて1年中いる。あ、いや、こういうことを話し始めると「お前、とうとう変な宗教にはまったな」とかいわれるので、めったに話すことはないのだけどね。
実を言うと、祖母も、母親も、妹も、俗にいう「霊感」的なものがあって、不思議な体験をしてきたけれど、いっつも「不思議なことあるよねー」「こういう偶然もあるんだねー」とかで話が終わってしまっていた。
おっかながりの私は、自分に「霊感」がないことに感謝していたけれど、子どもの頃から金縛りにはよくあっていた。
眠ろうとしている布団の中で、意識があって、周囲がよく見えているにもかかわらず、体だけは動かない。そのうち足先の方から「ズドーン」という衝撃を感じて、尋常でない「重み」がだんだん上へと登ってくる。
ひどい時には一晩10回くらい金縛りにあっていた。
でもまぁ、ぼく自身としては「体=眠っている。知覚=まだ目覚めている」そのギャップが金縛りという現象だろうと、科学的に解釈しているつもりだった。
ところがである。最近、金縛りが変化しているのだ。
「からだが動かない」ことは一緒だけど、見えている風景が違っている。自分の寝室を見ているのではなく、金縛りに合うと同時に、目の前の景色がどこかにスリップしてしまう。まったく見たこともない場所に、移動しているのです。
「昨日の金縛り」では、ぼくはどこかの家のキッチンを横になって眺めていた。それはステンレスの寸胴があったり、タイル張りの流しがあったりと、特徴的なキッチンで、しかもぼくはタイルの1つひとつの色彩まで克明に見ることができ、動かない体でステンレス鍋に目を移せば、メーカー名と思われる刻印までもがはっきりクローズアップされてくる。さらに、困ったことに(というか、怖いことに)その寸胴なべの向こう側に「だれか」がいることがわかるのだ。
おいおい、勘弁してくれよ。
ちくしょー、からだ動かねぇよー。と思いながらも、ぼくは覚悟を決めて、その、どこかのだれかに会わなきゃいけないのかもしれない。と心のどこかで思っていたりもしている。
でも、怖いよう。
オレ、おっかながりなんだけどなー。
こういう時、猫が一緒の布団で寝ていてくれると、とても助かるのです!
「大丈夫、こいつがいる!!!!」と感じると、金縛りも乗り越えられる。
でもね、今、夏でしょ。猫は、人間と一緒に寝ていない。涼しい場所にいる。
だから夏は、怪談にふさわしいシーズンなんだろうなと、納得しているのです。
今夜もたぶん、猫がそばにいねーよぅ。
金縛りでもないのに、からだがズドーンと重たいのは、こういうケース。