2017年08月13日

あの日の黒猫

母親の実家は魚屋だったのだけど、店先にはいつも猫がいて店番をしていた。猫の名前はオスだろうがメスだろうが代々「チビ」もしくは「タマ」と決まっていて、それをとっかえひっかえ使っていた。

今でこそ、猫の寿命は10年越えは当たり前、20年ものも珍しくなくなったけれど、当時の猫のごはんといえば、ご飯に味噌汁の上澄みをぶっかけた「猫まんま」などが中心で、塩分がどうのとかタンパク質とか、そういうことはほとんど考えられていなかった。だから、猫も比較的短命で世代交代していった。

そうした中でも実家の猫たちは食に恵まれていた。時々、野良猫たちがやってきて、「チビ」(タマ)のご飯を食べていくことがあったけれど、追い払うこともせず、横でじっと見ていたそうだ。それほど、魚をふんだんに与えられていたのである。したがって店先に並んでいる魚に手を出すようなことは決してなく、店番を悠々とこなしていた。

家で正式に飼っているチビもしくはタマに加えて、家の外で生活しながらご飯だけもらいにくる「外ネコ」も56匹いた。

歴代の家猫の中でもひときわ目立っていたのが、片目が金色、片目が深いブルーという虹彩異色(オッドアイ)の瞳を持った白猫で、この猫は2度ほど盗まれて金持ちに売り飛ばされたのだけど、自力で戻ってきたそうだ。

そして、やれやれ、これを書かなければならない。

麻布の町がアメリカ軍の空爆で焼け野原となる頃、家には外ネコとして真っ黒な猫がいた。戦争末期で商売もできず、人間の食べ物さえろくにないような中、猫を飼う余裕はなかったのだろう。最後のチビもしくはタマが死んだあとは、家猫を招き入れることはなく、食べものもあげられないので外ネコも減っていき、それでもこの黒スケはそばにいてくれた。

その晩、空種警報が鳴った。

それまでも毎晩のように鳴っていて、そのたびに防空壕などへ飛び込んでいくような日々だったそうだが、この日の空襲はいつもと違っていた。

ものすごい数の爆弾が落とされて、周囲はあっという間に火の海になった。

爆発音、逃げ惑う人間たち。崩れる家屋。「とても生き延びられない」と母親たちも覚悟を決めた。母は、そばにいた黒猫を抱え上げるとこう声をかけた「いいかい。お前は自分で逃げるんだよ。生きるんだよ」。標的になりやすい人間と一緒にいるよりも、猫の本能で逃げた方が生き延びる確率が高い。そう思ったからだ。黒スケを地面に戻すと、猫は一心に走っていった。

それが最後の姿だった。

爆弾の嵐をなんとかかいくぐって、母たちは生き残り、がれきになった実家に戻ってきたのだけど、黒猫が姿を見せることは二度となかった。

ぼくはこの話に弱い。

これだからオレは戦争が嫌なのだ、と心底思う。

人間が人間を、それぞれの勝手な言い分で殺し合うのは、それはまぁ人間という愚かな生き物がそういうものなのだっていうのなら、最悪、しょうがない。

だったら、死ぬのは人間だけにして欲しい。猫も犬も、一切巻き込むんじゃないよ。

相手を殺さないと問題が解決しないと思っている人間だけを集めて、でっかいロケットに乗っけて、月でも火星でもいっていただいて、好きなだけ殺し合えばいい。最後の一人になるまで殺し合って、そのままそこにいるがいい。



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posted by jin at 12:10| 東京 ☁| Comment(0) | ぼくが戦争を嫌いな理由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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