2017年08月15日

終戦の日の話

今日は終戦記念日なので、ちょこっとだけ、そのことを書いておこうと思います。

爆撃で家を失った母親たちは、「そこいらへんにある」廃材を寄せ集めて、掘立小屋を建てて暮らしていました。それがどれくらいの「掘立」具合かというと、すきま風はもちろん、夜見上げれば廃材の間から星のまたたきが見えるというしろもので、「冬、寒さに目を覚ましたら、隣に寝ていた兄の顔に雪が積もっていてびっくりした」とよく話していました。兄は、それでも寝ていたそうです。

何はともあれ、1945815日、なんだか大事な放送があるというので、トランジスタラジオの前に一家は顔を寄せていました。そしてはじまった玉音放送。兄が一生懸命チューニングして聞き取ろうとしましたが、ラジオから流れてくる天皇の声は、頭のてっぺんから出てくるような声で、母には何をいってるのか意味がわからなかったそうです。まぁ、電波の問題もあれば、ラジオ側にも問題があったのでしょうけどね。それで「なんだって?」と尋ねたところ「よくわからないけど、どうやら戦争が終わったらしいよ」と兄の答え。その瞬間、「あ〜よかった。これで、もう爆撃機は飛んでこない」と心から安堵したそうです。勝ったでも負けたでもなく、とにかく平和であること、平穏であることの安堵。それだけでした。

ちなみにその後、終戦から何か月かたったある日、アメリカ軍のジープが1台、わが家の前を通りかかりました。そして掘立小屋の前でエンジンを止めると、軍人が1人降りてきたそうです。3番目の兄は、戦前、英語の教師になるための勉強をしていたので、軍人の話す言葉がわかりました。

「お前たちは、なんでこんなひどい家に住んでいるのだ?」と彼は聞いたそうです。そこで兄が「お前たちが爆撃で粉々にしたから、こんな家になってしまったのだ」と説明しました。すると軍人は「ソーリー」といい、「これを食べてくれ」と自分のために支給された弁当を置いていったそうです。

弁当のフタを開けた母はびっくりしました。おいしそうなおかずが並んでいて、ウインナソーセージも入っています。東京で生き残った人々は、薄めて薄めて薄めた雑炊にサツマイモのツルなどを混ぜて食べていた時のことです。ウインナーを一口かじった母は、「こんなにおいしいものを、兵隊さんたちが食べている国に勝てるわけがない」心底そう思ったと話していました。

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猫も人もゆっくり眠れること。それが平和。


ラベル:終戦
posted by jin at 17:59| 東京 ☔| Comment(0) | ぼくが戦争を嫌いな理由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

あの日の黒猫

母親の実家は魚屋だったのだけど、店先にはいつも猫がいて店番をしていた。猫の名前はオスだろうがメスだろうが代々「チビ」もしくは「タマ」と決まっていて、それをとっかえひっかえ使っていた。

今でこそ、猫の寿命は10年越えは当たり前、20年ものも珍しくなくなったけれど、当時の猫のごはんといえば、ご飯に味噌汁の上澄みをぶっかけた「猫まんま」などが中心で、塩分がどうのとかタンパク質とか、そういうことはほとんど考えられていなかった。だから、猫も比較的短命で世代交代していった。

そうした中でも実家の猫たちは食に恵まれていた。時々、野良猫たちがやってきて、「チビ」(タマ)のご飯を食べていくことがあったけれど、追い払うこともせず、横でじっと見ていたそうだ。それほど、魚をふんだんに与えられていたのである。したがって店先に並んでいる魚に手を出すようなことは決してなく、店番を悠々とこなしていた。

家で正式に飼っているチビもしくはタマに加えて、家の外で生活しながらご飯だけもらいにくる「外ネコ」も56匹いた。

歴代の家猫の中でもひときわ目立っていたのが、片目が金色、片目が深いブルーという虹彩異色(オッドアイ)の瞳を持った白猫で、この猫は2度ほど盗まれて金持ちに売り飛ばされたのだけど、自力で戻ってきたそうだ。

そして、やれやれ、これを書かなければならない。

麻布の町がアメリカ軍の空爆で焼け野原となる頃、家には外ネコとして真っ黒な猫がいた。戦争末期で商売もできず、人間の食べ物さえろくにないような中、猫を飼う余裕はなかったのだろう。最後のチビもしくはタマが死んだあとは、家猫を招き入れることはなく、食べものもあげられないので外ネコも減っていき、それでもこの黒スケはそばにいてくれた。

その晩、空種警報が鳴った。

それまでも毎晩のように鳴っていて、そのたびに防空壕などへ飛び込んでいくような日々だったそうだが、この日の空襲はいつもと違っていた。

ものすごい数の爆弾が落とされて、周囲はあっという間に火の海になった。

爆発音、逃げ惑う人間たち。崩れる家屋。「とても生き延びられない」と母親たちも覚悟を決めた。母は、そばにいた黒猫を抱え上げるとこう声をかけた「いいかい。お前は自分で逃げるんだよ。生きるんだよ」。標的になりやすい人間と一緒にいるよりも、猫の本能で逃げた方が生き延びる確率が高い。そう思ったからだ。黒スケを地面に戻すと、猫は一心に走っていった。

それが最後の姿だった。

爆弾の嵐をなんとかかいくぐって、母たちは生き残り、がれきになった実家に戻ってきたのだけど、黒猫が姿を見せることは二度となかった。

ぼくはこの話に弱い。

これだからオレは戦争が嫌なのだ、と心底思う。

人間が人間を、それぞれの勝手な言い分で殺し合うのは、それはまぁ人間という愚かな生き物がそういうものなのだっていうのなら、最悪、しょうがない。

だったら、死ぬのは人間だけにして欲しい。猫も犬も、一切巻き込むんじゃないよ。

相手を殺さないと問題が解決しないと思っている人間だけを集めて、でっかいロケットに乗っけて、月でも火星でもいっていただいて、好きなだけ殺し合えばいい。最後の一人になるまで殺し合って、そのままそこにいるがいい。



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posted by jin at 12:10| 東京 ☁| Comment(0) | ぼくが戦争を嫌いな理由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

非国民ってだれ


 母親が中学に上がった頃だから、第二次世界大戦も中盤から後半、勝敗の雲行きもだいぶ怪しくなってきていた。食糧も衣服も日用品も不足して、生活はかなり苦しくなってきていたけれど、不満をもらすことは許されず(公の場で不満なんかもらしたら牢屋行き)、言論統制や思想コントロールも厳しさを増していた。と、そんなある日、学内でも「美人」として知られていた先輩が、母親に声をかけてきた。

 「明日、銀座に行くからね。家にある洋服の中で、いちばんきれいな服を着てくるんだよ!」

 なんのことかわからず(怪しい。母親は確信犯の可能性がある)、それでも母親は、よそ行きの赤い服を着て先輩と合流した。一方の先輩は、舞踏会で着るドレスのような服。

 銀座の街を歩いていると、たすきをかけたおばさん(国防婦人会か)が二人を呼び止め、険しい顔でビラを渡そうとした。

 『あなたは非国民です』

 そう書かれたビラを見た先輩は、ドレスの両端を指先でつまんで、片足をさっと下げておじぎをすると、「これは、まぁ、どうもありがとう!」といってビラを受け取り、母親の方を見て叫んだ。

「逃げろー!」

二人して銀座の街並みを走って逃げて、おばさんたちの姿が見えないところまでくると、ゲラゲラ笑い合って「非国民だってさ。ばかみたい」とビラを破り捨てたそうです。

これをするためだけに、二人でオシャレして銀座に行ったのです。

小学生だったぼくは、この話を母親から聞かされながら「こういう先輩みたいな人がもっとたくさんいたら、戦争なんて道には進まなかったのかな」と、なんとなく思ったのです。

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    そもそも私、猫だから…
posted by jin at 11:30| 東京 ☁| Comment(0) | ぼくが戦争を嫌いな理由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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